部員の声「勉強について」

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

これから皆さんには、人生で最も楽しいといわれる時間の一つである「大学生」という時間が待っています。その中には本当にたくさんの要素が含まれています。部活、サークル、恋愛、友人、アルバイト、趣味……。これらはそれぞれ、縁がある人とない人が分かれる要素ですが、他に、必ず誰もが対面する要素が存在します。「勉強」です。

大学はそもそも勉強、研究する場所ですから、勉強は不可避であり、それをしなければ卒業できません。誰一人、逃げられないのです。さらに大学での勉強は今までの高校での勉強のようにはいきません。高校の勉強は「指導要領」という絶対的な境界があり、検定を受けた教科書の内容さえ完璧に理解しておけば困ることはないのですが、大学はそのような統一的な教科書はなく、授業で教員が話したことがそのまま試験で問われます。先生の考えが少数派であることも多々あります。大学の勉強は非常に漠然とした世界なのです。

ここで当然の疑問が生じます。大学の授業で勉強する知識に意味はあるのでしょうか。この問いに対して、「意味がある」と理想的な解答をしたところで、大学では、この先の人生で絶対必要のない知識を必死に勉強することになるのは紛れもない事実です。(「教養学部」を全員修了しなければならない東大は特に)。結局、大学の授業で勉強する知識に意味は「ない」と言わざるを得ません。私も「前期教養学部などさっさと廃止して、専門科目のみにした方がよい」と思っていました。

しかし、これらはすべて「知識」のみに関して考えた場合の話です。勉強することの目的にはもう一つ、重要なものがあります。生きていくために必要な「考え方」を身に着けることです。

今、大学入学後2年経過し、部活内での役職をこなしたり、アルバイトをしたりするようになって、高校生の時までは意識もしたことがなかったような能力が求められるのを感じています。集団の中で機能するための能力。相手に自分の考えを正確に伝える能力。話したことのない人とどうにかして打ち解ける能力。人間は他人との関わりなしには生きていけないのですから、これらは当然に必要とされます。ではこれらの能力を身に着けるのに必要なものは何か。それは「多種多様な考え方」です。

私たちはどんなに気を付けていても、つい自分がもともと持っている考え方を唯一の軸として他人と関わってしまい、それにより建設的な議論が失われてしまうことがしばしばあります。しかし、大学の授業では上述の通り教員の話すことが全てなので、その考えが自分と合っていようがいまいが、否応なしにそれを学ぶことになります。つまり自分とは異なる考え方を無理やりにでも多く学ぶことになるのです。その時は大きな苦痛でしかなくても、ここで学んだ多種多様な考え方は、多種多様な人間と関わる中で常に自分を助けてくれます。私も現在、授業で学んだ知識はすっかり忘れても、そこで知った考え方の大切さを実感することが驚くほど多くなってきています。

どうせ4年間することになる勉強ですから、ただそれを負担とするだけでなく、「世の中にはこんな個性的な考え方をする人もいるのか」ということを探究するつもりで勉強と向き合ってみたら、少しは楽しくなるのではないでしょうか。

54期 本多 立季

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