部員の声「大切なことは…」(58期 落合航平)


2015年4月末、当時冴えない中学三年生だった私は、地元の少林寺拳法岐阜可児道院で拳士達の前で挨拶をしていた。この日は筆者が約五年間通った道院を去る日であった。道院長の先生からお言葉を頂く。

「人生には色々と都合というものがあるから、時には道院を去らなければいけない時もある。それは仕方がない。一番大切なことは、また機会があれば道院に戻って来ようと思える気持ちである。」

大会上位入賞や全国大会出場拳士を多く輩出するこの道院において、私は決して上手い方ではない。というか寧ろ、一応初段を取って黒帯を締めているものの、自他共に認める道院きっての下手糞枠である。そんな自分が戻ってくることなど本当にあるのだろうか…

来たる2019年。冴えない中学生だった私は、冴えない大学一年生になっていた。受験も一段落。思いがけず東大に合格し、これから始まる生活の設計を考えていた。そんな中で、一つ気にかけていたことがあった。

「少林寺拳法部、どうしようか」

腐っても経験者(と言ってしまえば格好いいが)。少林寺拳法については割と知っているつもりであるし、何より道院長の言葉も頭をよぎった。そもそも少林寺拳法というのは老若男女誰にでも出来る護身術というのが売り。大学の部活とはいえ、自分に出来ない筈は無い。見学にも行ったが良い先輩ばかりのようだし、やってみるか。

入部して早一年。私は冴えない東大生。そして冴えない少林寺拳法部員。貪欲に、楽しそうに練習に取り組む同期、物凄い技術と強さ、そして同時に優しさをも持ち合わせる先輩方に日々刺激を受けてきた。そして思う。少林寺拳法は楽しい。道院から大学へ転身はしたが、再び道場の門を叩くこと、それは再び上達を目指し、仲間と切磋琢磨しながら自分を磨くことなのだ。

ところで、少林寺拳法の目的は人づくりである。人づくりとは、半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを考えることの出来る人間を作ることである。思えば過去にこのような話もされた。

「『少林寺拳法を始めて上手くなったことは何?』って訊かれた時に、『上受突(註:少林寺拳法の技の一)です』とかじゃなくて真っ先に『掃除です!』と言える人になって欲しい。」

この言葉からか、一年生部員から一人清掃要員が派遣されることになった時には率先して引き受けた。

私は冴えない学生拳士。冴えない未熟者。大会ではまだスポーツ推薦組や他の上手い人達には勝てないかもしれない。黒帯で二段のくせに小柄で非力かもしれない。体が細すぎて道衣が似合わないかもしれない。体が固くて蹴りが上がらないかもしれない。動きに変な癖があるかもしれない。学業成績も悪いかもしれない。中身も変な奴かもしれない。生物学者になりたいけれど、色んな分野に目移りしているかもしれない。

でも、その「大切なこと」は、いつも心の中にある。

大切なことは、他を思い、自分を磨き続けることだ。

58期 落合航平